店舗案内
立川町大通商店街の買い物以外の楽しみ方をご紹介します。

立川町大通り中程から北に少し入ったところにある神社です。建立年代は不詳ですが、社殿右脇にある「笠欠け三猿塔」は江戸時代に奉納されたと言われております。太平洋戦争の空襲で、笠を失いながらも境内に避難してきた人々を守ったと伝えられていることから、古くからこの地域に親しまれてきた神社であることが想像できます。

また、八咫烏ゆかりの神社としても有名で、境内には平成4年の台風の時に奥の院が崩壊した祭に基礎石から発見された「三つ葦八咫烏石」が祀られており、また社殿左側面には「八咫烏御影石」が設置されています。八咫烏は三つ足の烏であることから、日本サッカー協会のエンブレムにも使われており、地元サッカーチーム「ザスパクサツ群馬」が必勝祈願を行う神社でもあります。

毎年11月の「一の酉の日」に行われる通称・お酉様、
大酉祭」は開運招福、商売繁盛を願う祭です。
境内では神社へ奉納する獅子舞や開運・福引大会等の催事が行われ、多くの人で賑わいます。

代田町・野神社の名前を冠する「千熊神輿」は総重量1tにも迫る、前橋まつりでも最大級の神輿です。地元神輿団体「翔鳳会」をはじめとした県内外の神輿団体が、色とりどりの法被を着て渡御に参加します。

太平洋戦争時の昭和20年8月5日、B29爆撃機の空襲は前橋の市街地を焼け野原にしました。
熊野神社では、その犠牲者への追悼の意と、戦争の悲しい記憶を風化させてはならないという思いから、
その8月5日、前橋大空襲の日にあわせて、「平和祈願祭」を行っております。
戦争体験者の講和や、空襲警報の音源を流したりと、戦争の恐ろしさを伝えながら、
戦争という過ちを再び繰り返さないよう、願いを込めて参道に並べた灯篭に火を灯します。

国道17号線から立川町大通りに入ってすぐ北側にある寺社です。慶長6年(1601年)、酒井重忠が厩橋藩主として厩橋城に入ったのに伴ってこの地に移った古いお寺で、徳川家康が東本願寺を創建させた際に、この寺の親鸞聖人自作の木像を移した縁から、「葵紋免許」を得て、数多くの書画や什物を贈られたといいます。これらの多くは国や群馬県、前橋市などの重要文化財に指定されていて、現在はほとんどが群馬県立歴史博物館にて保管されておりますが、群馬県指定重要文化財の「梵鐘」は現在もこのお寺に残っています。

妙安寺の「節分会」・豆まきは、歴代の市長も参加するという、この地域ではとても有名な行事です。
2月3日の夕方頃、前橋聖徳太子講(聖徳太子を大工の神様として祭る職人の集まり)の
鳶職による 木遣りが町内に響くと、豆撒きがはじまります。檀家さん等の中から年男が選ばれて
壇上に上がり、 皆さんに向かって「福」を撒きます。撒かれるのは豆のほか、
ポケットティッシュや 駄菓子などの当たっても痛くないものですが、稀に番号札が拾えれば、
別の景品と引き換えられるという 嬉しいオマケが付いていて、子供から大人まで楽しめます。
豆まきというと知名度が高く誰でも知っている行事ですが、寺社における節分絵はほかとは一味違った、
楽しさと厳かさの相俟った仏事であると改めて体感できる行事です。


前橋三大まつりのトリを飾るのが、その名もズバリの「前橋まつり」です。
前橋近郊の神輿愛好団体が集まり、それぞれに自慢の神輿を豪壮に担ぎ上げる神輿のお祭りとして有名で、その担ぎ手たち交友連は県外からも多くやってきます。
神輿はそれぞれに中心商店街全域を渡御しますが、中でも立川町大通はまつりのメイン会場として、昼間には市内小学校のマーチングバンドの演奏や、だんべえ踊りなどのショーが催されます。 そして夕方から宵の口には、参加神輿が一堂に会しての連合渡御が行われます。20を超えるほどの神輿が集まって一斉に担ぎ上がる大迫力は、なかなか見ることのできない見事さで、まさに「祭り」といった風情が感じられます。
立川町大通にある熊野神社の神輿「千熊神輿」も弁天通りの仮宮から渡御します。

毎年恒例、FMぐんまと前橋中心商店街の共催企画「ツナガリズムまつり」。
街中ではラジオの公開生放送、豪華ゲストを招いてのステージをはじめとした
様々な企画が催され、たくさんの人で賑います。立川町大通商店街でも、
毎年フリーマーケットが開催され、いろいろなブースがところせましと並びます。
9つの商店街からなる中心商店街全域で、場所にあった多様な企画が組まれており、
一日中散策しても全てを見ることができないくらい、盛り沢山なイベントです。